2012年09月15日

『ご家老様の贋札』執筆記(その8) 歴史編(5)〜贋札プロジェクト始動〜

 いよいよ拙作『ご家老様の贋札』の核心、福岡藩贋札事件について説明して行きます。
 まず太政官札という紙幣ですが明治政府によって慶応4年(1868年)から明治2年(1869年)まで発行された日本国初の全国通用紙幣、金銀ではなく政府の信用を担保とする不換紙幣です。
 江戸時代も各藩で藩札が発行されていましたがあくまで金銀を正貨とする兌換紙幣でした。そのため日本国民は当初不換紙幣というものを信用せず流通も鈍いものでした。「明治と書いてひっくり返せばおさまるめい」という狂歌もあったぐらいで、そもそも明治政府自体が旧幕府軍と戦ばかりしていていつ倒れてしまうか知れず信用に値しない政権と見られていたのです。それをなんとか信用を保証して流通させようと明治政府は様々な策を講じるのですがその一つが石高貸付で、諸藩に石高に応じた金額の太政官札を貸し付け、代わりに同額の金銀を中央に納めさせるというものでした。
 黒田五十二万石と謳われた福岡藩は51万両分の太政官札を受け取り、51万両の金貨を政府に納めなくてはなりません。さすがに一括ではなく分納でしたがそれでも財政難の藩にとって重い負担なのは間違いなく、手元に残る太政官札はと言えばまだ頼りない新政府の通貨。一朝事あらば只の紙切れになりかねません。福岡藩は即刻太政官札を全額放出して額面の半値の金貨に換えますが、これがまたしても裏目。函館戦争は終結し明治政府の体制も整い、それに伴い太政官札の信用も確立されてきたのです。そうなると持っていた方が得だった、20数万両をみすみすドブに捨ててしまったということになります。ここに至って福岡藩は太政官札の偽造に着手します。
 財政を司る司計局の責任者が大参事・矢野安雄前々回前回で長々解説して参りました。大参事という役職は筆頭家老もしくは副知事と考えてもらえば良いです。拙作『ご家老様の贋札』の悲運のご家老様・矢勢国康のモデルです。
 彼を補佐するのが会計主宰を務める権大参事・小河愛四郎です。小河家も矢野家と同様代々家老を務めてきた家系です。彼も贋札事件の摘発に際して興味深いエピソード(…次々回あたりでお話します)がありましたので拙作に翻案の上登場してもらいました。
 彼ら会計方の藩幹部が中心となって通商局という部局を立ち上げ、贋札製造が始まります。拙作には相当する人物を登場させていませんが最初に太政官札の贋造を発案したのは元勘定奉行の山本一心という藩士で、この通商局の頭取に就任するのですが程なく病死(自殺とも)してしまいます。
 ナチスドイツが強制収容所内に秘密の工房を設け、ユダヤ人印刷工を使役して偽ポンド札を作るという映画『ヒトラーの贋札』を観てもわかる通り、偽金作りには高度な機密保持が要求されますので工房は福岡城内の二ノ丸二ノ櫓に設けました。ここに福岡・博多で雇い入れた絵師・印判師など印刷系の職人たちを連れてきて贋札作りに従事させたのです。(その9に続く)
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現在の福岡城二の丸。
posted by 片羽國雄 at 15:31| Comment(0) | シナリオ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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